トレハロース先生

徒然なるままに

骨折した話

第一章 骨が折れる

世の中には二種類の人間がいる。

骨を折ったことがない人間と,骨を折ったことがある人間だ。

かくいう私は後者の人間である。

 

「骨を折る」には「精を出して働く」や「苦心して人の世話をする」

という意味もあるが,ここでは文字通り「骨が折れる」経験について記す。

 

私の右手の指が折れたのは,入道雲が空を覆い,蝉たちがここぞとばかりに

鳴きはじめたある暑い夏の日だった。

 

小学校三年生でソフトボールをはじめてから約2年が過ぎ,それなりにソフトボールの楽しさ,そして難しさを感じることができるようになってきたころだった。

 

その日もいつものようにアップ,キャッチボールをしてから,実践練習がはじまった。

ピッチャーが投げたボールをバッタ―が打つ。守備はアウトを取るためにボールを追い,捕球し,ファーストに投げる。

 

より実践に近い雰囲気の練習は,小学生ながらに緊張感を感じるもので,それでいて

どこかわくわくするものだった。

 

私は三塁ランナーとして,さまざまな状況を頭で整理していた。

「もし内野ゴロが転がったら,その瞬間にスタートだな。キャッチャーがボールを後ろにそらす可能性もある。注意しておこう。もしフライが上がればタッチアップの準備だ。」

 

ソフトボールは野球のようにはじめからリードをとることはできないので,ベースについた状態でピッチャーが投球動作に入ったのを確認する。

 

ピッチャーの指先からボールが離れる瞬間,私もベースから離れリードをとる。

私の目線から見たその球は,球威はあるもののバッターからすると一番打ちやすい高さに投げられた絶好球。

 

「あ、打てる。」

直観的に感じた私は,ホームへ向かう体制をとりながら,足を一歩大きく踏み出す。

バッターが歯を食いしばりながら,力いっぱいバットを振りぬく。

しかしそのバットは,快音を響かせることなく,虚しく空を切った。

 

「あ、やべっ」

 

キャッチャーミットに収まったボールを確認する前に,私は三塁ベースへ戻ろうとした。

しかし三塁ベースはあまりにも遠かった。

いやらしくもキャッチャーは私を目の端に捉えると,矢のような送球を三塁ベースに送った。

 

私は焦った。そして次の瞬間には三塁ベースに頭から突っ込んでいた。

私の人生ではじめておこなったヘッドスライディングだった。

 

「…セーフ」

 

安堵の表情と,すこし照れたような笑いを浮かべながらも,右手への違和感をすぐに感じた。

そしてその違和感は次第に私の頭を支配するようになっていった。

 

しかしこのヘッドスライディングで指が折れていることを当時の私は知る由もなかった。

 

第二章 折れたままで過ごす2週間

はじめての骨折を私が医師の口から告げられ,その日に右手をギプスで固定されることになるのは,ヘッドスライディングから2週間後のことである。

 

そう何を隠そう私は病院へ2週間行かなかったのだ。

理由はいくつかあるが,おおきな理由としては折れているとは思はなかったからだ。

 

なにせ今まで骨折などしたことないのである。骨折がどのようなものなのか学校で教わった記憶もない。

はじめは突き指だと思い,冷やせば治ると思っていた。そう信じていた。

しかし指の痛みはおさまるどころか悪化したようにも感じる。

 

「早く病院に行け」とあなたは思っているかもしれないが,まあ焦りなさんな。

私が病院に行くのはだれが何と言おうと2週間後だ。

 

とにかく私は骨にひびが入った状態で日々をすごした。(うまい)

学校生活ではまず鉛筆を持つのがつらい。文字を書こうとすると,右手を鈍い痛みが襲う。箸をもつのもなかなか不便だった。唐揚げを箸でもつには思った以上に指に力を加える必要があるのだ。

 

このように普段当たり前のようにできていたことが,急に苦痛を伴った作業に変わる。

人間は失ってからはじめて大切なものに気付くと言われているが,このときまさに「当たり前に自分の体を思い通りに動かせること」へのありがたさを感じた。

 

なんとか学校での1週間を乗り越えると,今度は週末にソフトボールの練習がある。

ボールを握っただけでは何ともないのだが,いざ投げるときに激痛が走る。

そのためボールは自然と山なりの返球になってしまう。

それでも周りにはばれないようになんとか練習をこなした。

しかしこの次の週には練習試合が行われた。私はセカンドで出場することになる。

 

試合になるとアドレナリンが分泌され,痛みは少し和らぐ。

ボールを捕球するまでも問題はない。しかし,やはり自分の満足するプレーをできない歯がゆさは残る。

骨折した状態で試合に出場し,なんとか無難に試合はこなした。

しかしこの試合を契機にわたしは病院へ行くことを決意するのだ。

 

第3章 病院にて

医師は私の手を一目見るなり「折れてるでしょうね」と無慈悲な声をだした。

そして,すぐに病院にこなかったことを責めた。

 

「いや先生ね,こっちだって『はじめての骨折』ですよ。B.B.クイーンズ流れてますよ。涙なしには見れませんよ。『誰にも内緒で骨折なのよ~』ですよ。」

とは言えず,ただただ反省の弁を先生に伝えた。

 

レントゲン写真を撮ってみると,やはり先生の目に狂いはなく,また初心者の私にもはっきりわかるようにしっかりと?骨は折れていた。

 

レントゲン写真を見ながら,先生が耳を疑うような質問を私に投げかけた。

「誰かをこぶしで殴りました?」

 

私は記憶をたどってみた。たしかに殴りたいような奴にはたくさん心あたりがある。しかしそれを実際に行動に移したことはないはずだ。

 

「先生,今のところそのような経験はないですね。」

「この骨折はね,ボクサーとかがパンチを放った時になる折れ方だよ。」

 

そうです。あのヘッドスライディングは,三塁ベースを力いっぱい殴っていたのです。ボクサーが対戦相手に力いっぱいのパンチを放つのと,原理としては一緒なのです。

 

私は人を殴らずして,ボクサーと同じ骨折を体験することができたのだ。

私がこのことを感慨深く感じる暇も与えずに,私の右腕はカチカチに固められた。

そしてこのギプスがとれて,普段の生活に戻ることができるようになるのはこの2か月後のことになる。

 

私はこの出来事から骨折の怖さを知る。日常生活が普段通り行えない不便さ。大好きなソフトボールができない悲しさ。リハビリの大変さ。

ギプスがとれて,思い通りに動く右手は,思わず頬ずりしたくなるほど愛おしいものだった。

「この先大事にするよ」と夜空に誓った私だったが,この数年後またしても私の指に不幸が訪れることになる。しかしそれはまた別の機会で。