トレハロース先生

徒然なるままに

働きたくない~ 映画紹介『クロコダイルダンディー』

大学4年生になった。
正直仕事なんてしたくない。
自然に囲まれた田舎でのほほんと暮らしたい。
昼からビールを飲みながら好きな本を読みたい。
心地よい風が吹く木陰でまどろみたい。
お金も最低限あればいい。
欲はなく決して怒らず、いつも静かに笑っていたい。

しかし、現実はそうはいかない。働かざる者食うべからず。仕事はしなくちゃいけない。

「働きたくない」「働かなきゃいけない」この二つの相反する欲望と現実に対して、
前者を心の奥底に押し込んで、
後者に“やりがい”という言い訳をちらつかせながら折り合いをつけていくのが、
「大人」になるということなのかもしれない。

 岡山駅を行き交う人々の表情はどこか冴えない。
“心”を“亡くす”と書いて「忙しい」とはよく言ったものだが、
僕たちは本当になにか大切なものを亡くしてしまったのかもしれない。

暗い話になってしまった。
コメディ映画を紹介する。

「クロコダイルダンディー」は、1986年公開のオーストラリア映画
オーストラリアの奥地で生活している“クロコダイルダンディー”ことマイケル・ダンディー(ポール・ホーガン)が、
はじめてのニューヨークで巻き起こす騒動をえがいている。
彼をニューヨークに誘う女性新聞記者のスー(リンダ・コズラウスキー)との恋愛模様も実にほほえましい。
マイケルの都会の常識に染まっていない自由な行動に、僕たちは思わずにやけてしまう。
そして同時に、彼は僕たちが亡くしてしまったなにかを気づかせてくれるかもしれない。

骨折した話

第一章 骨が折れる

世の中には二種類の人間がいる。

骨を折ったことがない人間と,骨を折ったことがある人間だ。

かくいう私は後者の人間である。

 

「骨を折る」には「精を出して働く」や「苦心して人の世話をする」

という意味もあるが,ここでは文字通り「骨が折れる」経験について記す。

 

私の右手の指が折れたのは,入道雲が空を覆い,蝉たちがここぞとばかりに

鳴きはじめたある暑い夏の日だった。

 

小学校三年生でソフトボールをはじめてから約2年が過ぎ,それなりにソフトボールの楽しさ,そして難しさを感じることができるようになってきたころだった。

 

その日もいつものようにアップ,キャッチボールをしてから,実践練習がはじまった。

ピッチャーが投げたボールをバッタ―が打つ。守備はアウトを取るためにボールを追い,捕球し,ファーストに投げる。

 

より実践に近い雰囲気の練習は,小学生ながらに緊張感を感じるもので,それでいて

どこかわくわくするものだった。

 

私は三塁ランナーとして,さまざまな状況を頭で整理していた。

「もし内野ゴロが転がったら,その瞬間にスタートだな。キャッチャーがボールを後ろにそらす可能性もある。注意しておこう。もしフライが上がればタッチアップの準備だ。」

 

ソフトボールは野球のようにはじめからリードをとることはできないので,ベースについた状態でピッチャーが投球動作に入ったのを確認する。

 

ピッチャーの指先からボールが離れる瞬間,私もベースから離れリードをとる。

私の目線から見たその球は,球威はあるもののバッターからすると一番打ちやすい高さに投げられた絶好球。

 

「あ、打てる。」

直観的に感じた私は,ホームへ向かう体制をとりながら,足を一歩大きく踏み出す。

バッターが歯を食いしばりながら,力いっぱいバットを振りぬく。

しかしそのバットは,快音を響かせることなく,虚しく空を切った。

 

「あ、やべっ」

 

キャッチャーミットに収まったボールを確認する前に,私は三塁ベースへ戻ろうとした。

しかし三塁ベースはあまりにも遠かった。

いやらしくもキャッチャーは私を目の端に捉えると,矢のような送球を三塁ベースに送った。

 

私は焦った。そして次の瞬間には三塁ベースに頭から突っ込んでいた。

私の人生ではじめておこなったヘッドスライディングだった。

 

「…セーフ」

 

安堵の表情と,すこし照れたような笑いを浮かべながらも,右手への違和感をすぐに感じた。

そしてその違和感は次第に私の頭を支配するようになっていった。

 

しかしこのヘッドスライディングで指が折れていることを当時の私は知る由もなかった。

 

第二章 折れたままで過ごす2週間

はじめての骨折を私が医師の口から告げられ,その日に右手をギプスで固定されることになるのは,ヘッドスライディングから2週間後のことである。

 

そう何を隠そう私は病院へ2週間行かなかったのだ。

理由はいくつかあるが,おおきな理由としては折れているとは思はなかったからだ。

 

なにせ今まで骨折などしたことないのである。骨折がどのようなものなのか学校で教わった記憶もない。

はじめは突き指だと思い,冷やせば治ると思っていた。そう信じていた。

しかし指の痛みはおさまるどころか悪化したようにも感じる。

 

「早く病院に行け」とあなたは思っているかもしれないが,まあ焦りなさんな。

私が病院に行くのはだれが何と言おうと2週間後だ。

 

とにかく私は骨にひびが入った状態で日々をすごした。(うまい)

学校生活ではまず鉛筆を持つのがつらい。文字を書こうとすると,右手を鈍い痛みが襲う。箸をもつのもなかなか不便だった。唐揚げを箸でもつには思った以上に指に力を加える必要があるのだ。

 

このように普段当たり前のようにできていたことが,急に苦痛を伴った作業に変わる。

人間は失ってからはじめて大切なものに気付くと言われているが,このときまさに「当たり前に自分の体を思い通りに動かせること」へのありがたさを感じた。

 

なんとか学校での1週間を乗り越えると,今度は週末にソフトボールの練習がある。

ボールを握っただけでは何ともないのだが,いざ投げるときに激痛が走る。

そのためボールは自然と山なりの返球になってしまう。

それでも周りにはばれないようになんとか練習をこなした。

しかしこの次の週には練習試合が行われた。私はセカンドで出場することになる。

 

試合になるとアドレナリンが分泌され,痛みは少し和らぐ。

ボールを捕球するまでも問題はない。しかし,やはり自分の満足するプレーをできない歯がゆさは残る。

骨折した状態で試合に出場し,なんとか無難に試合はこなした。

しかしこの試合を契機にわたしは病院へ行くことを決意するのだ。

 

第3章 病院にて

医師は私の手を一目見るなり「折れてるでしょうね」と無慈悲な声をだした。

そして,すぐに病院にこなかったことを責めた。

 

「いや先生ね,こっちだって『はじめての骨折』ですよ。B.B.クイーンズ流れてますよ。涙なしには見れませんよ。『誰にも内緒で骨折なのよ~』ですよ。」

とは言えず,ただただ反省の弁を先生に伝えた。

 

レントゲン写真を撮ってみると,やはり先生の目に狂いはなく,また初心者の私にもはっきりわかるようにしっかりと?骨は折れていた。

 

レントゲン写真を見ながら,先生が耳を疑うような質問を私に投げかけた。

「誰かをこぶしで殴りました?」

 

私は記憶をたどってみた。たしかに殴りたいような奴にはたくさん心あたりがある。しかしそれを実際に行動に移したことはないはずだ。

 

「先生,今のところそのような経験はないですね。」

「この骨折はね,ボクサーとかがパンチを放った時になる折れ方だよ。」

 

そうです。あのヘッドスライディングは,三塁ベースを力いっぱい殴っていたのです。ボクサーが対戦相手に力いっぱいのパンチを放つのと,原理としては一緒なのです。

 

私は人を殴らずして,ボクサーと同じ骨折を体験することができたのだ。

私がこのことを感慨深く感じる暇も与えずに,私の右腕はカチカチに固められた。

そしてこのギプスがとれて,普段の生活に戻ることができるようになるのはこの2か月後のことになる。

 

私はこの出来事から骨折の怖さを知る。日常生活が普段通り行えない不便さ。大好きなソフトボールができない悲しさ。リハビリの大変さ。

ギプスがとれて,思い通りに動く右手は,思わず頬ずりしたくなるほど愛おしいものだった。

「この先大事にするよ」と夜空に誓った私だったが,この数年後またしても私の指に不幸が訪れることになる。しかしそれはまた別の機会で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サピエンス全史

人類の脳はなぜ発達したのか(サピエンス全史より)

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世界の覇者となった人類

我々人類は他の動物に比べると,体も小さく,力もありません。

しかし現在私たち人類は,この地球上で,食物連鎖の頂点に君臨しています。

 

では人間はなぜここまでの存在になることができたのでしょう。

それはひとえに脳の発達のおかげといっても過言ではありません。

 

人類はこの弱肉強食の世界で生き残るために,頭を使って勝ち残ってきたのです。

 

脳の発達が人間の立場を押し上げた

体重60キロの哺乳類(人間以外)の脳を平均すると

約200立方センチメートルと言われています。

 

対して現代人の脳は約1200~1400立方センチメートルです。

人類が誕生したとされる250万年前の人類でさえ,

600立方センチメートルの脳の容量があったと言われています。

 

脳が発達することのデメリット

脳の発達は,人間が生き残るためにはなくてはならないものでした。

しかしそこにはデメリットもあったのです。

 

まず脳を持ち歩くのが大変になります。

持ち歩くためには,頭蓋骨という専用のケースも必要になります。

 

一番のデメリットは脳の燃費が悪いということです。

脳の重さは体重の2~3パーセントですが,安静時には脳だけで,

体のエネルギーのうち25パーセントも使われます。

 

他の動物の脳は同様の状況でも8パーセントのエネルギーしか使わないことを考えると,人間の脳の燃費の悪さが際立ちます。

 

このエネルギー問題を解消するために人類は二つの解決策をとります。

 

ひとつは脳のエネルギーを獲得するために,食べ物を探す時間を多くつくること。

もうひとつは筋肉などに回すエネルギーを脳に使ったこと。

人間の筋肉が他の動物ほど発達していないのは,

エネルギーを優先的に脳に使ったからなのです。

 

人類の脳が発達した要因

人類の脳が発達したのには大きく二つの要因があるとされています。

ひとつは二足歩行を行ったから。

もうひとつは火の利用です。

 

直立二足歩行は,頭を支えやすく,大きな発達した脳をもつことを助けました。

また手を自由に使えるようになったことも,脳が発達した一つの理由だと考えられます。

 

しかし直立二足歩行もまた人類に「腰痛」と「肩こり」をもたらしました。

二足歩行をするうえで,腰回りを狭めることが必要になり,それに伴い産道もせまくなったとも言われています。

だから人間の赤ちゃんはまだ産道が通れるくらいの小さい状態で,出産せざるをえなくなったのです。

母親は,未熟な赤ん坊を育てる間,他のことは何もできなくなります。

そこで周りの助けが必要になってくるのです。

多くの人で協力し,助け合いながら生活していく。

 

人間に社会性が生まれたのはこういう理由もあるのです。

 

火は人類が初めてつかった道具でもあります。私たちの祖先は,少なくとも80万年前には火をつかっていたようで,30万年前には日常的に火を利用していました。

 

火は,猛獣から自分たちを守るためのほか,さまざまな用途に使われます。

 

その中でも特に恩恵があったのは調理への利用でした。

火の利用によって,肉などについた菌を殺菌するほか,米など人間が生では食べられないものも消化できるようになります。

このことによって人間の腸は短くなったと考えられています。

 

腸も脳と同様に大きなエネルギーを使います。火によって食物を消化しやすくなり,腸が短くなった人間は,余ったエネルギーを脳の発達に使うことができるようになります。

ここから腸が短くなったことと,脳の発達は関係すると主張する学者もいるのです。

 

疑問はつづく

人間は確かに脳を発達させることで,今の地位を築きました。

しかし,人間が食物連鎖の頂点に立ったのはほんの10万年前で,人類が250万年前に誕生してから,200万年以上の間,人間は非常に弱い存在でした。

火を使っていたとはいえ,夜になると私たちの祖先は猛獣の鳴き声におびえながら朝が来るのは待っていたのです。

 

100万年前に生きていた人類は私たちと同じように脳は発達していました。

しかし絶えず捕食者をおそれ,主に植物や昆虫,小さな動物を食べて生活していたのです。

脳の発達はこのころの人々にとってはどのような意味があったのでしょう。

二足歩行だって広大な陸上で逃げたりする上では不利になったはずなのに。

 

疑問はつづきます。